リスタート地点
平成のホームズと謳われた少年はその冠に相応しい自信に満ちた表情で幼馴染を見据えた。
「蘭」
低く、だが優しさを存分に含んだ声が、彼の眼前で顔を附せている少女の名を呼んだ。
「な、に」
警戒心を隠さない彼女に彼は可笑しそうに笑う。そんなに幼馴染が悔しくて蘭は軽く唇を噛んだ。
何故自分がこんなに居心地の悪い思いをしているのか、その正体が掴めなくて歯痒い。
それなのに目の前の幼馴染は余裕たっぷりで立っているのは理不尽だと蘭は思った。
「今日で卒業だ」
その不可解な言い回しに、今しがたまでこの空間が持つ重苦しい雰囲気に押し潰されそうになっていた蘭は首を傾げて、やはり不敵さを張り付けたままの探偵を見上げた。
「卒業?私達、まだ2年生だよ」
蘭の真っ直ぐな感想に、新一は口許の笑みを深めると徐に蘭の右手を己の掌で包み込んだ。蘭の心臓は跳ね上がり、反射的に後退ろうとするも新一の強い意思を
秘めた瞳に阻まれてしまう。
蘭は新一をじっと見詰めた。
幼い頃からずっと一緒に居た新一。
子供のときは差なんてなかったのに、今では簡単に彼の手に包み込まれてしまう。
明確な差異が寂しいのか、悔しいのか、狡いのか、嬉しいのか、色々な感情が入り交じってますます蘭は混乱する。
「違う。そーいう意味じゃねーよ。わかんねえの?」
苦笑する新一とは対称的に蘭は唇を尖らせる。
「わかんないわよ。私はだれかさんみたいに探偵じゃないもの」
蘭の憎まれ口に新一は肩を震わせて笑う。新一には彼女の"可愛くない"態度が、彼女の照れ隠しだと正確に見抜いていた。
これだから探偵は困ると蘭は胸中でぼやく。この観察眼にはとてもじゃないが敵いそうもない。
「蘭。俺達、幼馴染を卒業しよう」
え。と蘭の表情が固まる。新一の言葉の真意を理解をできてないのだ。いや、深層ではわかっているのだろうが、恋愛には奥手で慎重な蘭は己の混乱を諌めるために思考を遮断してしまっていた。
「おめーが好きだ」
しかし遮断は簡単に解けてしまう。新一にかかれば蘭の防御など無に等しいのだ。
それほどの時を、彼等は共に過ごしてきた。
蘭は思う。
これは何度も何度も彼に伝えようとした言葉だったと。この言葉で自分達の世界が変わると知っていた。プラスになるのか、マイナスになるかは蘭には検討も付かなかったが。だから怖がって避けて、だけどやはり強く望んでいた。
蘭は激しく騒ぎ立てる内部に襲われ、大きな瞳から一筋の涙を溢す。決して哀しかったわけではない。嬉しくて嬉しくて幸せで、でも疑惑は数滴残っていた。馬鹿じゃねーのと新一なら呆れるだろう。
「わ、わ…たしは、」
蘭はそこで言葉を切ると目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をした。その弾みで雫が床に落ちるのを新一は眺めている。穏やかな眼差し。それに背中を押される。
「私、」
開かれた瞳は強い意思を秘めていた。その双眼は逃げることなく新一を射抜いている。
「私も新一が好きだよ」
蘭は安堵と愛に満ちた笑みを浮かべる。それは新一がこれまで見てきた中で最も綺麗な微笑だった。この笑顔を合図に、彼等の新しい関係は始まりを告げた。
(脱・幼馴染)